私は今パートのおばちゃんをしている。
2022年10月念願の個展を5日間開催した。
12年間モノづくりビジネスをしてきて、活動には満足していたので2つの事が叶えばいつでも辞めていいと思っていた。
一つがイベントで飛ぶように商品が売れる体験。
二つ目が単独で個展を開催する。
一つ目の『飛ぶように売れる』と言うのは抽象的で、目標数値がない。
他人と比較してはまだまだ、もっともっとと活動私続けてきた。
二つ目の個展は開催すること自体が怖くて何も動けずにいた。
友人とランチをしていた時に「個展の何が怖いのか?」という話になり初めてなぜ怖がっているのか考えてみた。
「誰も来てくれないかもしれない」
コレが怖さの正体だった。
誰も来てくれなくてもいい、自分の為に自分が満足する空間を作ろうと覚悟を決め、その場で個展出店を決意。
この時私は年下の友人の前でボロボロと泣いていた。
「やっとやりたい事をやってくれる」私の中の小さな私が喜んで泣いた。
その日から1週間で開催場所と日程を決めた。
5日間の個展は仲間も手伝ってくれて最高、最幸の空間となった。久しく会っていなかった友人も駆けつけてくれて大満足。
次への野望も出てきた。
手放す
念願の個展を終えて、次のやりたいものが見えてきた。
借りているアトリエは車で20分ほどの場所。夕飯を終えてまたアトリエに行こうという気にはなれない。自宅には自分の部屋がないので夜も作業をしたり、配信をする部屋が欲しかった。
「アトリエ出れば?」
私の中の小さい私の声を信頼しているので、朝起きて直ぐにアトリエを出る決意をした。同時に家の近くで部屋を探し始めるもワクワクしない。気分が良くないのは、その選択は違うよという合図。
そのうち探すのもやめた。
「こんがリンダ辞めれば?」
1年前から自分のエネルギーがおかしくなっていることに気づいていた。イベントに出ても、売れてほしい反面、売れたらまた作らなくてはいけないと苦しくなっていた。商品には自分の気分(エネルギー)が乗ると思っているので、苦しい思いで作り出される商品が良いわけがない。
その日のうちに廃業届を出した。
本当はずっと前から辞めたかったのかもしれない
個展をやると決めた時にボロボロ泣いたのは、私の中の小さな私が「個展をやればもう辞めてくれる」とホットして泣いたのだと今は分かる。
モノづくりビジネス仲間の投稿を見ても嫉妬も焦りも感じない。
「辞めなくても…」そんな声もたくさんもらったけど、本人は全く後悔はなくスッキリしている。 やりたい事が見つかった時に また開業届を出せばいいだけのこと。 もしかしたら次は株式会社かもしれない。
パートのおばちゃんで終わるつもりはない。
今は峠の茶屋で次にどの山に登ろうか考えているところ。