おちゃめな50代
老いに抗い人生を楽しむ

毒親。

自分の母親を毒親なんて言いたくはないけど
二十歳を過ぎたころからこの生き辛さの正体はお母さんの存在なのではないかと思いはじめた。

幼少期の私はいわゆる良い子ちゃん。6人姉妹の母がどの姉妹よりも幸せであれるように、母にとって自慢の娘でいようとしていた。 何かをするしないの判断はいつも母親の顔色。悪気はないのだろうが「○○ちゃんは… 」と言われる度の他人と比較されているように感じた。実際私には2歳違いの兄がいるが「男の子は可愛いのよ」と面と向かって言われたし 兄の友だちは良い子、私の友だちは派手な子が多いわねと言われたことも。

常に自分は正しくて、潔癖症。 ヒステリックに急に怒り始めるので母の機嫌を見ながらの行動。こうやって書くと一方的に酷い母のようだけど、自慢できるような事は応援してくれたし、恐らく私の友だちは、すごく良いお母さんで仲の良い母娘と思っていただろう。私にもそれなりに反抗期があったので顔色をうかがってビクビクしていた訳ではない。

ただ、言い返すときも「うるさい!」という程度で、母を傷つけないように自分の本心
「そう言われると傷つくからやめてほしい」ということは言えなかった。

家を出たらこの漠然とした生き辛さは終わると思っていたけど、結婚しても、子どもが生まれても、母にどう思われるか、喜んでもらえるかをいつも気にしていた。実家との距離は車で20分。いつでも帰れる距離なのに、帰れば嫌な気持ちになるのが分かっているのでだんだんと足が遠のく。薄情と言われても自分を守りたい。

自分の意識、思考が世界を創っている100%自分原因説を取り入れた2019年から、この気分の悪さは何が原因なんだろう、私の思考の何が毒親を作り出しているのだろうと考える。
未だに答えは出ないけど、母が元気なうちに私の本心を伝えられる日が来るのか…面と向かって本心を伝える事が怖くてずっと逃げてきたのかもしれない。